ケララ州のトリシュールにあるカラマンダラム芸術学校の短期集中コースでモヒニアッタムを勉強していたころのこと。よく断水するぼろぼろの寮にインドの女の子たちと朝から晩まで一緒に暮らした。いくらでも時間があると思っている若い十代の女の子たちの中で二十代後半の私は確実に違いがあった。朝は6時におきて一人で朝稽古をし、授業中も先生が自習させている時も、皆とさぼることもなかった。夕方も寮の廊下でカラリパヤットの練習をしたりしている。彼女たちは外人の私に興味があり、何かと話し掛け、日本の歌や言葉を聞きたがる。けれども、私はそんな時間が惜しいと思った。それどころか、さぼりぎみの女の子を「あなたのせいで授業が遅れる」などと体育館の裏に呼び出しそうな勢いで責めたりした。はっきりいって嫌なやつである。日本だったら、すぐにいじめにあうに違いない。けれども、インドの女の子は逞しいのか、さっぱりしているのかいっこうにめげる様子はなく私にまとわりついた。かわいい小悪魔たちである。
そして、卒業公演の朝、政治家が急死したため、公演がキャンセルになった。裳に服することを表明するためだ。けれども、生徒の両親が遠くから来ていたこともあり、いつもの教室で密かに発表の場が設けられた。そのときのことである、私の新品の衣装がどうしてもずり落ちてステップが踏めないのである。仕立屋が特別
な素材で作った新作と自慢していたが重いのである。人から見てわからないのだけど、凹凸
のない私のお尻はそれをとどめることができない。踊りは悲惨だった。寮から先生の家に戻った私は一晩泣いた。どしゃぶりの雨の夜、雨の音にまけないぐらい声をはりあげて泣いた。次の日熱をだし、一週間寝込んだ。その時先生の言った言葉を今でも忘れない。
「このコースが始まるときに、それぞれの先生にグルダクシュナ(捧げ物)をあげなかったから公演はキャンセルになり、広美の衣装もトラブルにあった。神様の罰だ」けれども、私は始まるときにどうしたらよいか先生に聞いたのだ。もともとこの先生の生徒であり、先生がこの学校への転職にあわせて入学したのである。先生は人に合わせなさい。誰かがあげたら広美も。と、そのときは言ったのに。すっかり忘れているらしい。でも、インドらしい発想だと思う。理不尽だけど、説得力があるのだ。何が因果
になるかわからない。けれども、それを神様が見ていて制裁を加えるのである。私の場合、ひたすら練習だけをしていて心の余裕がなかったことを罰せられたのだと思う。やはり踊りは単なる技術だけではなく、愛情が必要なのである。というよりも、愛そのものなのに。私は練習だけすれば誰にも負けないと、野心に燃え奢っていたのだと思う。
この雨の夜のことは、公演が近くなると思い出す。この日が私の踊りの原点である。踊りに対して奢ったり、甘く見たり、いいかげんにならないように。耳を澄ます。
聞こえてくるあのケララの雨の音。ケララでラララ。
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